社会生活

母は毎朝私が朝8時前に起床し授業に出席したかを確認するLINEを送ってくる。悪口は大嫌いだし自分に利するところがないから滅多に悪口は言わないんだけど、これに関してはマジでイかれてると思う。そもそも送り手がロクに学校に通ってないと分かってるのに、そのような確認に対して私がウソをつかないとでも思っているのか?

 

というか、その確認の方法は無粋だし無意味だ。まともではない人間は社会的なルールに強い束縛感を覚えているのにそれを意識させるような文言は攻撃にしかならない。両親は私の障害を知っているが「子供の頃からの性格」としか認識していないので話が通じない。

 

こちらが幾度も社会的に普通に生活したいと願い行動したことに向こうは気づいていない。両親は「大学を卒業し就職し納税して貢献する」というロジックでしか生きてきていないから、彼らが考える「普通」以下の人間はクズとしか考えていない。環境的ステータスが著しく低く特殊な才能もない人間が、社会的に「普通」の生活ができないと確信したときの絶望を彼らは知らない。

 

母の妹がガンで苦しんでいたとき、母はしきりに私を責め立てた。「生きたくても生きられない人がいるのに何もせず死ぬことすら望んでいるお前は無価値だ」という具合である。ガンに苦しめられることは痛々しく哀しいことだ。しかし誰からも見えず、自分の身体と精神を平均寿命まで蝕み続け、不幸しか思い起こせず死にゆく人間は同情の余地がないのか?

 

私自身が起こしてきた行動と、誕生から現在までの過程の全てにおける評価は100点満点中3点程度でしかない。3点は犬を飼えたことに尽きる。その犬は先日老衰で亡くなった。彼との記憶は消えようがない。

 

今は頭脳を渦巻く混沌を表現するために色々試している。だからまだ死ねないし、私が生き続けることの意味を、来るべき時まで考え続けたい。